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上手くいかない方(成績が振るわない,進級できなかった)への独り言

昨年1年間はコロナウィルス感染症のため対面授業が大幅に制限され,メディア授業であったことから,上手くいかない,面白くないという方が結構,おられるのではないかと思います。

 

以下は,上手くいっている方には関係のない話しなります。上手くいかないと思っている方に,少しのヒントになれば幸いです。

 

まず,上手くいっている方というのは,「勉強時間と成績が比例している方」です。上手くいかない方というのは,「勉強時間と成績が比例しない方」,すなわち「他者と比べても勉強時間が劣っているわけでないのに,成績が良くない方」です。

 

勉強時間が負けて成績も悪いのは当たり前ですので,その場合は,諦めて時間を費やして勉強してくださいとしか言いようがありません。

 

他方,勉強時間では負けていないのに上手くいかない方は,少々刺激的な表現ですいませんが,危険です。このまま勉強を続けても,改善する可能性が低いと言わざるを得ません。どこか「方法」にズレがあると考えられ,このまま「量」を増やしても,成果があがることは期待薄です。特に,「定評のある○○本を,○回読んでやりこんだのに。」と考えている方は注意が必要です。

「○○本」,「○回」に囚われていませんか?大切なのは,そこではなく,どう「やりこんだ」か,すなわち,どのような読み方をして,そこから何を吸収し,理解して身につけたのかです。

 

何を「やりこむ」かですが,初学者は「法律知識」を理解することが必要だと思います。ここで大切なのは,法律知識を「覚える」ことではなく,「理解」することです。定義,論証,判例要旨を暗記だけして済まそうとしていませんか?もちろん理解の前提として覚えることが必要ですが,それだけだと,同じ問題であれば答えられるでしょうが,事案が変わると途端に分からなくなってしまい,無理矢理,同じ点を見つけて「同じだ。」と言い張り,暗記したものをそのまま吐き出すことになってしまいます。ところが,だいたいの問題は,「覚えたことを前提に,異なる点を見出し,そこをどう考えますか。」を聞いてきます。異なる点に目をつぶると,出題趣旨に答えていないことになります。この「異なる点」に答えるためには,覚えた知識を理解しておく必要があります。自分で腹落ちしていないことは,他者に説明することはできません。なぜそう考えるのかを理解し,覚えることが大切です。

個々の法律知識を「やりこんだ」ら,次は,それらの法律知識の法体系の中での位置づけ,相互関係を有機的に結ぶ,連結器としての横断的理解とその法での考え方(アルゴリズム)を「覚え」,「理解」することが必要になります。

これでインプットが完了しますので,その次は,これを「使いこなす」,すなわち,表現する力を磨くことなります。

 

上手くいかないと感じている方は,表現力以前の,「やりこむ」にズレがある可能性が高いと思います。

 

抽象論は分かったけど,どうすればとよいのかを考えてみます。

 

「やりこみ」のズレを修正するのに,今までと同じ方法で,「○○本」を読み込んでも効果は期待できません。

 

まず,その本のレベルは貴方にあっていますか?書いてある内容が理解できますか?分からない内容を分からない本で読んでも時間の浪費です。例えは悪いですが,赤ちゃんが成長するためにステーキを与えるでしょうか?消化酵素がありませんから,ステーキを与えても,おなかを下すだけで,成長することはできません。やはり,離乳食を与えて消化できるまで成長してから,ステーキを与えないといけません。ほんとに分からないと感じているときは,もっと簡単な入門的な本を「やりこむ」べきです。それが消化できるようになれば,戻ってくればよいだけです。リークエの民訴,和田先生の民訴が難しいですか?であれば,有斐閣ストゥデイアの民事訴訟法や和田先生のコンパクト版を手に取ってはどうでしょうか。佐久間先生の民法基礎が難しいですか?であれば,道垣内先生のリーガルベイシス民法入門を手に取ってはどうでしょうか。周りは定番を使っており,そんな入門書は恥ずかしい。他人に見せる必要はありませんし,公表する必要もありませんから,黙って使えばよいだけのことです。

 

それでも分からなければ,法科大学院の最大の資産は教員です。教員に教えを乞うてください。ただし,質問にも作法がありますので,それは守るようにしてください。何もかも教えてくださいではなく,「この点について,自分はこう考えているのですが,それでいいのか。こういう点が腑に落ちません。」と尋ねていただければ,分かるまで徹底的に教えてもらえるはずです。

 

皆さんは,法科大学院に来られたのは,法をもって社会に貢献したい,活躍したいとの意思をもって来られたと思います。また,それだけではなく,法律学という学問に知的好奇心が少なからずあるはずです。勉強は苦行ではなく,知的好奇心を満たす楽しいもののはずですから,背伸びせずに,自分の消化酵素にあったレベルのことからもう一度手を付けてみませんか?

令和3年の司法試験にあたって

修了生の皆様へ

川上です。

令和3年の司法試験まであと1月とちょっとになりました。皆さんも,ラストスパートに全力を尽くしているものと思います。

昨年も司法試験にあたっての雑文を投稿していますので,少し疲れて休憩するときにでも目を通していただければ幸いです(昨年と今年で,試験に臨むにあたってが異なることは,もちろんありませんので。)。

言うまでもないことですが,司法試験は,問題の難易度が高く,年に一度しかないというハードルの高い試験です。

とは言え,決して受からない試験ではありません。本学を修了した皆さんであれば,合格水準に足りるだけの能力,知識を有しています。あとは,それを本番でどう表現するかです。

本番で最高のパフォーマンスを発揮するためには,皆さんが思う以上に,体力・精神力が要求されます。これからの1か月は,健康第一,体調管理に十分に意を用いてください。

精神論だけでは激励にはなりませんので,一点だけ対策について述べさせていただきます。

ご承知のとおり,民法の改正(債権法,相続法)が立て続けになされています。既に施行後,概ね1年ですので,改正部分は試験に出ないは通用しません。特に,短答式では要注意です。

新設条文はさすがにまだ判例がありませんので,聞くとすれば,直接,条文の要件・効果を問うてくるはずです。これは,知っていればものの十数秒で回答できますが,知らなければ考えても無駄となります。その1問が雌雄を決する恐ろしさを味わうことがないように,とにかく条文は最後の最後まで丁寧に扱って勉強してください。

民法を例としましたが,その他の科目を同じです。

我々実務家が,仕事で法律論を闘わせるとき,空中戦は行いません。例えば,「売買契約上の説明義務があるはずだ。」と主張しても,「そんなん条文にありません。」です。まず,コンセンサスが得られる共通の土俵である条文から議論を出発させます。「民法555条に売買の条文がありますよね。売買は財貨移転と対価支払が対価性を有する双務契約ですよね。」と当たり前のことから論を始めます。司法試験は実務家登用試験ですから,同じことです。

問題を読んで,「論点が分からない。」,「あかん」と思ってしまった場合は,関係すると考える条文の前後,場合によっては法文の目次を利用して,章レベル(短答式では使えませんが。)で概括してください。必ず,そこにヒントがあるか,高等司法研究科で学んだこと,講師がしゃべっていたことを思い出すはずです。そこから,諦めることなく,最後まで粘って,チャンスを掴んでください。

「ステップ・バイ・ステップ。どんなことでも,何かを達成する場合にとるべき方法はただひとつ,一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。これ以外に方法はない。」(Michael Jeffrey Jordan)

 

実務修習でお会いできるのを,楽しみしています。

 

令和2年の司法試験にあたって

みなさんへ

川上です。

今年の司法試験は,COVID-19の影響で,延期になり,その後の延期後の日程も例年と全く異なり,大きなストレスになっていると思います。試験日程も,例年であれば,5月上旬の比較的穏やかな気候のなかではなく,8月12日から16日と真夏の厳しい気候の中での受験となります。

そのような中での司法試験においては,体調(気持ちを含めて)が重要なキーになります。あと一月!体調を整えることを第一に考えてもらえればと思います。司法試験は満点を取らなければならない試験ではありません。個人的な感触レベルのことですが,満点10点とすれば,7点をキープできれば結果に結びつきます。

学力5点,体調3点,運2点の合計10点のなかから,7点を拾えればいいというぐらいに気持ちで,実力が発揮できるように体調を整えるのが,試験に臨む皆さんの最後のミッションだと思います。

思い返してみれば,旧司法試験時代は,7月の半ば(祇園祭のころ)に論文試験が実施されていました(しかも,受験会場は京大で,部屋によってはエアコンがない!!)ので,それに近い感覚になるのかも知れません。私が合格した年の論文試験では,同室になかなかの猛者がいました(笑

  • クーラーボックスを持参し,その中に,大量のドリンク剤と保冷剤を放りこんでいて,足を中に突っ込んでいた者(さすがに,試験監督から,禁止するので教室外に置くように注意を受けていました。要綱で禁止されていないと反論していましたが,もちろん不可でした。)
  • Tシャツ,ショートパンツ,サンダルで颯爽と現れ(ここはリゾート地か?),席に着くと,周りがざわめく中,さっとTシャツを脱いでビキニトップで受けようした者(これも,さすがに,試験監督から,Tシャツは着るように注意を受け,しぶしぶ着直していました。)
  • 試験開始後に,前の席の受験生が汗臭く集中できない,なんとかして欲しいとクレームを述べる者(これには,試験監督も苦慮していました。当人に汗臭いので風呂に入ってこいとも言えませんしねぇ。結局,そのままだったように記憶しています。)

まぁ,こんな感じで,フリーダムというか混沌の中で,実施されるのが夏の司法試験です。年一度の試験ですから,緊張するのが当たり前です。私の場合,こんなハプニングがあり,「なんじゃ,これ」と笑ってしまい,冷静になったのをよく覚えています。

また,直前1か月は,生活サイクルを朝方に変えて,試験本番を想定したルーチンを作り実行していました。会場に着きたい時間から逆算し,起床時間,最も集中しなければならない時間帯を設定して集中する,それ以外の時間は論パを眺めたり,条文目次や定義集を眺めたり,ある意味流し気味で知識の確実性を高める,こんな感じで過ごしていました。

 

阪大の高等司法研究科を修了された皆さんは,

・学力の面で,水準を割っているということはありません!あとは,合格まで体調3点,運2点の中から,どう拾うかです。その中で,自分でコントロールできるのは体調です。

・何かしらの失敗は全員がやらかします(過去には同じことを受験者の半数近くがやらかしていたこともあります。)。最後まで諦めず,喰らい付いてください。

 

願わくば,皆さんが万全の体調で受験され,2年後には一緒に仕事ができることを楽しみにしています。

 

 

【質問】取締役会における中途退席取締役の扱いについて

初めてオルサを利用させていただきます。次期3年次生です。

平成26年度の司法試験商法では、一旦取締役会に参加したものの、他の取締役Dの動議に反発し、取締役会を途中退席してしまう取締役Cが登場します(問題文中の事実7)。

この問題を通して以下2点の疑問が浮かんだので、質問いたします。

① このように取締役会を途中退席した取締役でも一旦出席したことは間違いないので、当該取締役は欠席したと扱われるのではなく、「出席した(定足数を満たしているかのカウントに含まれる)が賛成しなかった」と扱われるということでよいのでしょうか?

② また、もし①が出席したものと扱われるのなら、取締役が途中退席したその後に新たに議案が提出された場合、当該中途退席取締役はその議案の内容を知ることができませんが、その議案との関係でも出席したものとして扱われるのでしょうか? それとも、退席以後に初めて提出された議案との関係では、欠席と扱われるのでしょうか?

お忙しいところ恐縮ですが、理解が不十分な箇所のため、ご教授いただければ幸いです。

【質問】因果関係の錯誤のあてはめ

因果関係の錯誤において、「行為者が認識した因果関係と実際の因果関係とが相当因果関係の範囲内で符合している場合に、故意が認められる。」とされていますが、「相当因果関係の範囲内」とはどういう意味なのでしょうか。どのような事実に着目し、どのような流れであてはめをすればよいのでしょうか。

ご教授のほどよろしくお願いいたします。

【質問】民法改正部分の勉強について

修了生の松永充博と申します。

「司法試験は,試験時に施行されている法令に基づいて出題する。」
との司法試験委員会の決定があることは存じております。
しかし、最新の六法には改正法も掲載され、
条文を確認する度、教科書の記述と異なることが気になります。
たとえば、
現行法95条にいう「法律行為の要素」の文言が
「その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なもの」
と改められたことや、
現行法93条ただし書の類推適用についての判例の考え方が、
改正法107条に明文化されたりしたことについて、
どのような態度で勉強に臨むべきでしょうか?

条文の根拠や解釈について理解しなくてもよいとは思っておりませんが、
出題の可能性を含め、これまでの受験生はどう対処してきたのか、
現在の受験生はどのように考えているのか、参考にさせていただければ幸いです。

よろしくお願い致します。

【質問】2017年法律文書錬成講座(憲法)について

2017/12/11 管理者
>thousand様
ご質問に対する添削者からの回答を下記に掲載しましたので、よろしくご参考ください。(回答が遅くなり申し訳ありませんでした。)

憲法

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OULS’SAにアップされている、参考答案の1通目(A評価)のものについて質問したいです。

まず、適用違憲の部分の3において、「法9条の適用という制約には、正当化根拠がな」くとされており、その後基準を示して正当化されるかを論じているように見受けられます。この点について、法令違憲であるとしたにもかかわらず、その法令を適用することが正当化されることがあるのでしょうか。適用違憲とは、法令自体は合憲であるがその法令を当該事案に適用することは違憲ではないかということをことを論じるものと考えていましたが、法令が違憲である場合にもなお問題となるのでしょうか。
また、最後の一文に合憲限定解釈をする余地がなくとも書かれています。それは、法令が規制するように見える対象に合憲なものと違憲なものが含まれており、それが可分であって、一般人にもその区別がわかる場合に合憲とする手法であると思うのですが、その議論(どの部分が違憲で、どう切り離されるのか)は必要ないのでしょうか。
そして、合憲限定解釈自体は法令を救うものであって(その意味では、今回は原告の主張であるため、上記のような議論は不要とも考えられるのでしょうか?)法令審査の話で、適用審査はその法令が規制しないとされる行為について適用しているから違憲であるとする議論であると理解しています。今回議論の余地があるとすればその点であると思うのですが、その際に立てるべき規範に悩みます。参考答案の4通目(B評価)の3ページ目12行目に具体的な文言をとありますが、どのような規範にすればよいのでしょうか。
長文になり、申し訳ありません。以上、大きくわけて3つの点にお答えいただけるとありがたいです。

【質問】「既判力の時的限界」と遮断効

初めてオルサを利用させて頂きます。修了生です。

最近、既判力と遮断効は異なるものであるという解説を目にしました。

「既判力の時的限界=遮断効」だと思っていたのですが、違いがよくわかりません。どの様に理解すれば良いでしょうか。

加えて、原理原則である「既判力」の定義からどのように「遮断効」を導けば、答案上適切な表現となるのでしょうか。

 

以上2点について、ご教授頂ければ幸いです。

 

 

【参考】文章作成の参考に

 私は修了生の松永充博と申します。私が参加していた知的財産のゼミで次のようなやりとりをしていました。文章作成能力を考えるのに参考になると思い転送します。長いやりとりなので、5回くらいに分けて転送します。
尚、登場する野口君は群馬県出身の法学部3回生です。青江は青江先生 です。特筆すべきは、このやりとりの真の目的である文章作成能力向上は、やりとりの当初は全く触れられてなく、やりとりを通じて学部生が学んで いる点で、自分も大変分かりやすく学べたと思っています。
では、転送します。

第一回

ゼミ生&OB各位
 106日から毎日の3回生ラインでのやりとりを時系列に並べます。 お楽しみあれ。

青江 「野口!登利平の鳥肉弁当って知ってる?食べたことある?」
野口 「食べたことあります。好きです。」
青江 「宣伝してご覧。」
野口 「分かりました。」
野口 「登利平は群馬県民に愛されている老舗です。主に弁当と惣菜を販売しています。     その中でも最も人気があるのが「鳥めし竹弁当」です。秘伝のタレのついた薄切り鶏肉が、ご飯が見えないくらいにしきつめられています。」
青江 「うーむ 可も無し不可もなし65点 もっと、食べたくなるようにやってご覧。」
野口 「登利平は群馬県民に愛されている老舗です。主に弁当と惣菜を販売しています。その中でも最も人気があるのが「鳥めし竹弁当」です。秘伝のタレのついた薄切り鶏肉が、ご飯が見えないくらいにしきつめられています。ご飯にも秘伝のタレが染み込みお肉をめくると黄金色に輝くご飯が顔を見せます。お肉だけでももちろん美味しいですがご飯とお肉を一緒に食べた時のハーモニーは最高です。」

【質問】刑事事件における弁護活動

未修者2年です。

以下の問いについて質問です。LSの授業の課題として、今学期前半に出されたものですが、数ヶ月たっても、まだ分からないので質問します。

 

1 検事の弁護人への証拠開示は、どの条文を根拠にするのか

2 弁護人の検察官請求証拠に対する意見はどのように考えればよいのか

3 弁護活動として、どのような活動をすべきか。民事事件との違いは何か

 

 

某地検公判部のF検事は、高齢の被告人による万引き事件が公判請求されてきたため、一件記録を精査して、公判において請求する予定の証拠と不提出証拠に整理した。提出予定証拠は、主に、被害届、犯行を目撃して現行犯逮捕した警備員の検察官調書、被害品の確認書などが甲号証であり、乙号証は、被告人の身上経歴にかかる供述調書、犯行状況にかかる供述調書(一応自白調書)、前科調書、前科にかかる判決謄本であった。

F検事が、上記証拠を弁護人に開示したところ、弁護人から、被告人は認知症を患っており、そのため本件犯行当時責任能力がなかったか、あったとしても著しく減弱していたと主張するとの連絡が入った。

本件事件の弁護人の立場であった場合、検察官請求証拠に対して、どのような意見を述べるか、また、弁護活動として、どのような活動を行うべきか、検討してレポート用紙一枚程度にまとめてください。

参考

本件事案の内容は以下のとおりである。

被告人は、いつも日常の食料品などを買いに行くスーパーマーケットに出かけたが、いったん店備え付けの買い物かごに入れた食料品などを物陰に隠れて自宅から持ってきた布袋に入れ替え、そのままレジを通らず、店舗から出た。その直後、店舗入り口に設置されたベンチに座って、布袋の中の商品を確認していたところ、警備員に声をかけられて、現行犯逮捕されたものである。

【質問】憲法学における「制度準拠審査」について

 

大阪大学大学院高等司法研究科修了生の木村洋介と申します。

憲法学における「制度準拠審査(立法裁量縮減型)」(小山剛『「憲法上の権利」の作法[新版]』(尚学社、2011年)176頁参照)ないし「首尾一貫性審査」について、本学の片桐直人先生に質問したところ、大変ご丁寧にご説明いただきました。

片桐先生のご説明は、広く司法試験受験生等にとっても有益な内容かと思われましたので、先生のご厚意により、こちらにもその概要を投稿させていただきます。

【質問メール1】

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最判H14.1.31民集56-1-246(児童扶養手当支給打切り事件判決)は、「母が婚姻…によらないで懐胎した児童」のうち「父から認知された児童」について児童扶養手当の受給資格から除外する旨の児童扶養手当法施行令1条の2第3号かっこ書(以下「本件括弧書」という)につき、法律による児童扶養手当制度の趣旨・目的に照らし、「法の委任の趣旨に反する」としました。

これにつき、小山『「憲法上の権利」の作法[新版]』178頁は、「仮に本件括弧書が法律中に存在していたとしても、立法者の第一次的判断権が行使され、それを準拠点として当該規定の首尾一貫性を問うことができるのであれば、本判決と同様に審査を行うことが(理屈の上では)可能である」としています。

ここで、

①法規命令は法律による授権が必要であり、法規命令が法律による委任の範囲内かどうかは法律の解釈により判断すべきところ、児童扶養手当支給打切り事件判決は、児童扶養手当法の解釈により、児童扶養手当法施行令が委任の範囲内かどうかについて判断したもの、と理解してよいか。

②①を前提に、児童扶養手当支給打切り事件判決は、法律と規則という上下関係を前提としたものであり、法律と法律という対等関係を念頭においた上記小山教授の理解は、児童扶養手当支給打切り事件判決による当然の帰結とはいえない、と理解してよいか。

③上記小山教授の理解は、どのようなものか。

例えば、<憲法25条に基づいて社会保障制度が構築された場合、社会権は制度として保障されているといえる。本件では、(1)法の趣旨・目的に照らし、「母が婚姻…によらないで懐胎した児童」に対して児童扶養手当受給権が憲法25条により保障されているといえ、(2)本件規定が「父から認知された児童」につき支給除外とすることはかかる権利の制限といえ、(3)認知により法律上の父がいる状態になったとしても「父による現実の扶養を期待することができない」ため、本件規定は「父による現実の扶養を期待することができない類型の児童」のみを支給対象にするという目的を達成するために合理的な手段として正当化できないから、(4)本件規定は憲法25条に違反する。>と理解してよいか。

④上記小山教授の理解はどれほど一般的なものか。

以上4点につき、ご教授いただければと思います。

【回答メール1】

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ご質問の点、①と②~④に区別したうえで、順にお答えしたいと思います。

第一 質問①について

(回答)  正しいが、すこし注意すべき理解の仕方だと思います。

<理由>

「法規命令」も含めた受任命令は、法律の委任に基づくものですから、受任機関による権限行使が委任の範囲にとどまっているかが(法律が命令に委任したこととの合憲性とは独立に)問題になります(概説として、佐藤幸治・日本国憲法論・436頁参照)。そして、この事件では、児童扶養手当法4条1項5号に基づいて定められた施行令1条の2第3号が4条1項5号の委任の範囲内にあるかが問題とされています(ここ、条文まで細かく触れていますが、重要なポイントなので注意してください)。

この点、論理的には、法4条1項5号の委任の範囲を決定するに当たっては、同号の文言を解釈するのみで足りるという理解もあり得なくはないのですが、(おそらく行政法でやったように)授権規定の文言のみならず、関連諸規定や授権法全体の解釈によって判断するべきだという理解が通説的でしょう。そして、この判例は、この理解に立つものだとされています(竹田光広・最判解民事篇・平成14年度上177頁)。

そのうえで、この判例は、「法の趣旨や目的,さらには,同項が一定の類型の児童を支給対象児童として掲げた趣旨や支給対象児童とされた者との均衡等をも考慮して解釈」するという枠組みを立てているわけです。

このような論理になっているため、あたかも施行令1条の2第3号が(法4条1項5号)の「法」の委任の範囲内であるかを検討したように見えるのですね。

 

第2 質問②~④について

(回答)

②について ほとんど正解ですが、少し議論すべき点が残っています。

③について 誤解だと思います。

④について 小山先生の理解は、いわゆる「首尾一貫性統制」という考え方で、いまは       一般的だとはいいがたいのですが、様々な論点で有力説になっている立場(たとえばベースライン論や制度の原型に準拠した審査)にも論理的に近く、また、森林法違憲判決や立法裁量の判断過程統制を試みる近時の判例動向とも親和的で注目すべき立場です。ただし、論述試験でいきなり使うと採点者がついていけない可能性があるので、使う際にはそのような判断手法を用いるまでに周到な下ごしらえが必要です。

(理由)

1.(1) 手始めにこの児童扶養手当支給打切事件を踏まえながら考えてみましょう。最初に思い出してほしいのは、この事件については、学説上、憲14条1項違反を議論すべきで、しかも厳格な合理性審査を用いるべきだという議論があります(市川正人・ケースメソッド憲法〔第2版〕216頁以下)。また、本件1審判決も、憲14条1項に基づいて、次のような判断枠組みを採用していることに着目しましょう。

 

「憲法一四条一項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。」と規定している。これは、合理的な理由なくして差別されないことが、個人の尊厳に立脚する民主的社会の不可欠の要件であるとの考慮によるものと考えられ、法の下の平等は、憲法の最も重要な基本原理の一つということができる。

前掲のとおり、法一条は、「この法律は、父と生計を同じくしていない児童が育成される家庭の生活の安定と自立の促進に寄与するため、当該児童について児童扶養手当を支給し、もって児童の福祉の増進を図ることを目的とする。」と定めているところ、当事者間に争いがない本件処分の経緯等を照らせば、本件児童は、婚姻外の児童であったため、血縁上の父により認知された結果、本件括弧書により、その児童扶養手当の支給が打ち切られたものであって、法四条一項一号の規定により、婚姻(事実婚を含む)を解消した母に監護されるときの児童が児童扶養手当の支給を受けるのに比して差異があることは明らかである。

そして、母が本件児童を懐胎した当時、血縁上の父と母とが法律上の婚姻をしていたかどうかや事実婚の関係にあっかどうかは、本件児童において自ら選択することが不可能であり、その出生により決定される事柄であるから、前記の差異は、本件児童の立場から見れば、その社会的な地位又は身分により経済的関係において差別的な取扱を受けたことになる。

もっとも、児童扶養手当は、憲法二五条の規定の趣旨を実現する目的をもって設定された社会保障法上の制度であり(最高裁判所昭和五七年七月七日大法廷判決民集七巻一二三五号九七六頁参照)、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられているから、手当の支給対象者の決定も広い裁量に委ねられており、法の委任により手当の支給対象者を政令により定める際にも、その委任の範囲内で広範な裁量が認められ、一定の差異が生じたとしても憲法一四条違反の問題は起こらない筈であるとの見解も考えられないではない。しかし、法が前記の目的のもとに、その支給要件を法四条一項のとおりに定め、同項五号において「その他前各号に準ずる状態にある児童で政令で定めるもの」とした上、法施行令一条の二でその支給要件を定めた以上、その支給要件が何ら合理的理由がない不当な差別的取扱をするような内容であるときは、当該支給要件を定めた施行令は、裁量の範囲を逸脱したもので、憲法一四条の定める法の下の平等に直ちに違反するというべきである。

すなわち、一旦、法の委任の下に、政令で法四条一項一号ないし四号に準ずる状態にある児童に該当する要件を定立した以上は、その定立にあたり裁量の余地があるとしても、これが何ら合理的理由なくして不当な差別的取扱をするような内容であってはならないことは当然であり、これをその裁量の範囲内とする余地はない。そして、このような差別的取扱を受けた者は、これが違憲・無効であることを主張して、その救済を求めることができると解するのが相当である。

 

(2)ところが、通常の理解からすれば、社会福祉立法領域においては、広い立法裁量が肯定され、憲法14条1項違反と判断される可能性があること自体は否定されないもののほぼ合憲だとされてしまう枠組みが先例です(いうまでもなく、その嚆矢は塩見訴訟上告審判決です)。

ただ、この点についても、初歩的なところも含めて確認しておきましょう。当然のことながら、生活保護や社会保障に関する不支給や減額決定があった場合に、憲法論としては憲25条違反を理由に根拠法やその下での厚労大臣の支給基準を争うというのが定石中の定石です(朝日訴訟、堀木訴訟)。ところが、そもそも社会福祉立法はその財源確保の問題もあり、広い立法裁量が認められるわけで、ここからして勝ち目がないということになります。そこで、憲25条の権利の具体性を上げる(言葉どおりの具体的基本権説〔棟居快行・憲法解釈演習〔第2版〕142頁以下参照〕)などの学説が提唱されてきましたが、判例が受け入れるところではありませんでした。そのような中、近年では三つの方向性が望みがあるのではないかと考えられています(いま、手元になぜか古い版しかないのですが、長谷部恭男・憲法〔第6版〕の叙述をご覧ください)。1項2項分離論、制度後退禁止原則、平等原則です。

まず、1項2項分離論は、堀木訴訟控訴審が展開した考え方を受けて、いわば具体的権利説を憲法25条の条文構造に根拠づけようというものです。ただし、堀木訴訟控訴審のように1項2項をそれぞれ救貧と防貧に区別し前者に限って厳格審査を認めるというのは、救貧の範囲が狭すぎ批判されるところです。そこで、前者を人格的生存に必要な給付として把握するのはどうかなどといった議論がなされています。

つぎに、制度後退禁止原則は、学説上提唱される考え方で、いったん形成された給付水準がいわば既得権を構成し、そこからの後退は厳格審査に服すべきという考え方です。これは憲法上の条文の根拠づけが難しいのですが、生活保護法56条が不利益変更禁止原則を定めていることを逆手にとって、この原則は一般的なものであり、立法や厚労大臣の基準設定行為にも妥当するのだと主張します。老齢年金加算訴訟上告審がこの主張を退けたことはよく知られていますが、他方で厚労大臣の裁量権行使を判断過程統制で審査する中で激変緩和措置の要否および採用する場合の手段の選択も一応は議論されており、この議論の影響がうかがわれるところです。

第三が平等原則の活用で、こちらは塩見訴訟上告審が平等原則の適用を示唆したことにヒントを受けています。とくに、同じ境遇なのに給付を受けられる人とそうでない人との差が生まれる外国人や母子手当関連にはよく用いられる主張なのですが、立法裁量を前提とした合理性審査という枠組みに基づいて処理され、あまり良い成果を得られていないのはすでに示唆したとおりです(あと、この関連では社会権規約などの国際人権条約の援用もわりと持ち出されるテクニックです)。

 

(3) このように学説や弁護士グループは、様々な手法を駆使して、「立法裁量縮減の工夫」(長谷部恭男)をしてきたわけですが、どこか手詰まり感があります。そのような中、小山が注目するのがこの事例ということになります。

再度の確認になりますが、この事件で最高裁は、平等原則審査を回避して、受任命令の合法性という観点から違法性をあぶりだしたのでした。そこでは、「法は,いわゆる死別母子世帯を対象として国民年金法による母子福祉年金が支給されていたこととの均衡上,いわゆる生別母子世帯に対しても同様の施策を講ずべきであるとの議論を契機として制定されたものであるが,法が4条1項各号で規定する類型の児童は,生別母子世帯の児童に限定されておらず,1条の目的規定等に照らして,世帯の生計維持者としての父による現実の扶養を期待することができないと考えられる児童,すなわち,児童の母と婚姻関係にあるような父が存在しない状態,あるいは児童の扶養の観点からこれと同視することができる状態にある児童を支給対象児童として類型化しているものと解することができる」として、法4条1項各号が一定の類型の児童を掲げた趣旨を特定します(ちなみに、多数意見は、この類型化の趣旨が「生別母子世帯に対しても死別母子世帯と同様の施策を講ずることにある」という理解を退けています〔町田裁判官が批判するのはこの点です〕)。そして、このように特定された趣旨に鑑みると、本件括弧書きの児童が外れるのは、論理的に一貫しないのだから、法の委任の趣旨に反するから違法なのだと断罪します

このような判旨からすれば、違法となるのは、「4条1項各号の趣旨に鑑みて、受任命令が論理的に整合的でなく、その意味で不合理な権力行使であって、法の委任の趣旨に反する」からであり、その意味で、この判決は受任命令の違法性に関する先例としての機能を持つといえましょう。その限りで、②の質問のような理解は正しいと思いますし、おそらく最高裁が考える判例の射程もそうなのでしょう。

 

(4) もっとも、本判決が示したこのロジックをもう一歩踏み込んで考えてみると、また違う風景が見えてきます。

そもそも、なぜ受任命令の制定者は、委任法条の趣旨に「論理的に一貫した」命令の制定が求められるのでしょうか。法律が命令に規律を委任するのは、受任者の専門的・政治的判断に期待するからなのであって、そのようなある種の裁量的な判断を期待しないのであれば、自分ですべて決めてしまう方がよいのではないでしょうか。このように考えてみると、この判例に従うと、最高裁は、命令制定の受任者が法律の許容する一定の枠の中で自由な判断に基づき命令を制定するというのではなく(『枠づけられた自由な制定行為』と便宜的に呼んでおきましょう)、受任者は、授権法律の趣旨に基づいて一貫した命令制定の義務を負うと考えているともいえるように思います(『段階的な内容形成』と呼んでおきましょう)。下世話な言い方ですが、「美人を恋人にしたいなあ」と思って知り合いに「あなたの判断を尊重するからあなたの思う美人を選んできて」とお願いした場合、選ばれた人が自分にとって美人じゃないと思われても、「あなたが選んだのだから」といって尊重するのが『枠づけられた自由な制定行為』なのに対して、「美人を恋人にしたいなあ」というときに、知り合いがおよそあなたが気に入らないような人を選んで来れば、それはあなたの「美人を恋人にしたい」という依頼の趣旨に叶わないのだからダメだと考えるのが『段階的な内容形成』とでもいえましょうか。

このような考え方は、一定の抽象的な価値ないし理念が法律⇒命令と細部にわたって定められていくというイメージと重なっています。いうなれば価値理念が法段階説的かつプロセス的に、法制度全体として具体化され実現されていくというイメージです。

小山は、最高裁がこの判決で『段階的な内容形成』という理解に立ったうえで違法だと判断したと理解しているのです。

 

(5) 長くなってきましたが、いよいよ小山説の説明です。でも、ちょっとイメージをつかむために、およそこの論点と関係のない論点に寄り道することをお許しください。それは、芦部・10頁「自由の基礎法」で解説される根本規範です。

この根本規範という概念は、ロー生はほとんど検討しておらず、かつ、芦部の説明だとあまりにもあっさりと通過していて注目されないのですが、つぎのような考え方です。

まず、ここでいう根本規範はケルゼンのいう実定法を超えた法の妥当根拠というのとは異なって、清宮四郎の「憲法の憲法」という考え方を採用したものです。清宮によれば、一見、同一の形式的効力を持ち、それゆえに同一平面上に存在する憲法の諸条規も、憲法を根拠づける本質的な部分とそうでない部分とにわかれるとされます。つまり憲法典には、根本規範とそうでない規範とが一緒に一つの法典の中に規定されているのだというわけです。そして、この憲法典中の根本規範(=憲法の憲法)は、「憲法が下位の法令の根拠となり、その内容を規律するのと同じように」、同じ憲法典中にある他の憲法規範の「根拠となり、またその内容を規律する」といいます。そして、だからこそそのような根本規範は憲法改正によっても改正できないというわけです。

いわれてみればたしかに、憲法典のなかには、たとえば表現の自由や普通選挙の原則のように自由で公正な社会に必要な政府を創設するという観点から、本質的に重要なものとそうでないものとが混在しているように思われます。そうすると、清宮のような理解もありうるかもしれません。ただ、ここで言いたいのは、「自由の基礎法」ないし「根本規範」の話ではなくて、「法の法」という考え方についてです。このような考え方は、憲法だけでなく、法令にも使えるのではないでしょうか。つまり、一つの法典ないし複数の法典からなる法体系は、その法典や法体系にとって根本的に大事な部分とそれ以外とに分けられるのではないかというわけです。そして、根本的に大事な部分とそれ以外とが矛盾ないし論理的な不整合を起こす場合には、そもそも論理的に一貫した法体系になっていないのですから、それはおかしいとも言えるでしょう(これを便宜上、「首尾一貫性の欠如のゆえに違法の法理」とでも言っておきましょう)。

ここまで来れば、小山がこの判決の論理を法律レベルでも用いることができるのだという趣旨がおわかりになるでしょう。ただし、上の「法の法」を下敷きにした説明は、ロー生でもかろうじてなじみがある芦部を基礎に理解してもらうために、私がオリジナルに付け加えた説明ですので、小山先生がこのように考えているかも不明ですし、このように説明しなければ、小山説が導入できないわけでもありません。

もっとも、上にみたような首尾一貫性ゆえに違法の法理は、直感的には「そりゃあそうだよな」といえそうなものではないでしょうか。しかも、最高裁自身同じような考え方をたとえば森林法違憲判決や郵便法違憲判決、さらには衆議院の一票の較差に関するとくに近年の判決でも用いているように思われます。森林法についていえば、(石川説的な説明ですが)「一物一権主義」が「根本的に大事な部分」であり「共有物分割請求権の否定」はその論理的に一貫した体系化から外れるから、それを合憲だというためには適切な説明が要ると考えたといえるでしょう。一票の較差もそうで、小選挙区制と選挙区画定審議会設置法の下では、「一票の較差が2倍未満」になることが「根本的に大事な部分」であって、「一人別枠方式」や「較差2倍以上の放置」はその論理的な体系化から外れるから、それを合憲だというためには適切な説明が要ると考えているといえそうです。

そうだとすると、これをある法律の中に同居している条文同士の関係にまで推し進めるところまではあと一歩だといえるようにも思います。

以上で小山説のおおよそのところは理解していただけたのではないでしょうか。③の質問に即していえば、

 

「憲法25条が保障する生存権の実現はたしかに立法者の広い裁量にゆだねられ、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断をするのに適しない事柄である。しかし、立法者が制度の根幹となる基本的な原則を決定したと解される場合には、立法者は、原則として、その決定したところと論理的に矛盾がない首尾一貫した法律を制定するのが通常であるといえる。言い換えれば、法が定める特定の条文が、立法者の基本的な決定と論理的に不整合を起こす場合には、その程度に応じて、それを正当化するだけの合理的な理由が求められると解されるところであり、そのような合理的な理由が示されない場合には、かかる立法は合理性を欠き、違憲と判断すべきである。

この点、法が4条1項各号で規定する類型の児童は,生別母子世帯の児童に限定されておらず,1条の目的規定等に照らして,世帯の生計維持者としての父による現実の扶養を期待することができないと考えられる児童,すなわち,児童の母と婚姻関係にあるような父が存在しない状態,あるいは児童の扶養の観点からこれと同視することができる状態にある児童を支給対象児童として類型化しているものと解することができる。したがって、法〇条〇号が、母が婚姻によらずに懐胎,出産した婚姻外懐胎児童は,世帯の生計維持者としての父がいない児童であり,父による現実の扶養を期待することができない類型の児童に当たるのにこれを除外するのは、これを正当化する特段の合理的な事情がない限り、違憲というべきである」。

 

ということになるでしょう。

 

(6) 最後に、小山説がどれほど一般的かという④の点についてお答えしておきたいと思います。まず、この「首尾一貫性の欠如ゆえに違法の法理」(このネーミングは私がッ今ここで便宜的につけたものですから、答案の中でうっかり書いたりしないようにしてくださいね)は、ここ10年ほどドイツで盛んに議論された考え方(ドイツでは、首尾一貫性審査と呼んでいます)で、ドイツ憲法学をバックボーンに持つ教員(私も、村西先生も、松本先生もそうですが)にとってはそれほど違和感のない考え方です。しかし、当然のことながら、司法試験の採点委員はドイツ系の教員だけではないですし、もっといえば実務家も多くいます。その中でこの論理を突然繰り出すのはやはり勇気がいります。

他方で、首尾一貫性審査によく似た手法は、我が国の最高裁判例でも、学説でもたびたび議論されてきたところです。したがって、うまく書いても評価されないのかというとそうではないようにも思われます。

そこで、活用できそうな場面では活用してもよいということになりますが、その際、3点気を付けてください。

まず、(5)の末尾の論述例にも示したように、首尾一貫性の欠如が直ちに違憲と評価されているわけではなく、それをきっかけにして、それを正当化する理由の有無を審査するものであるという点です。これはドイツでも同じです。「首尾一貫性の欠如により直ちに違憲」などと書くぐらいなら使わない方がましという気もします。

つぎに、「首尾一貫性の欠如」がなぜ「違憲」の評価を導くかという点にも気を配ってください。同じく(5)の末尾の論述例をよくご覧ください。

最後に、この審査手法は、ドイツでも通常の比例原則審査が機能しない場合(審査密度が浅くならざるをえない場合=「主張可能性統制」と呼ばれる審査手法が妥当する場合)に用いられる手法だと考えられています。その意味では、平等原則の合理性審査が妥当する領域とか、社会権実現立法、租税立法、市場創設・規制立法の審査など、場面を選びますので気を付けてください。

【質問メール2】

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質問③について新たな疑問が生じたため、重ね重ね大変恐縮ではありますが、追加で質問させて頂いてもよろしいでしょうか。

質問③につき、

私が提示させて頂いた小山説の理解

<憲法25条に基づいて社会保障制度が構築された場合、社会権は制度として保障されているといえる。本件では、(1)法の趣旨・目的に照らし、「母が婚姻…によらないで懐胎した児童」に対して児童扶養手当受給権が憲法25条により保障されているといえ、(2)本件規定が「父から認知された児童」につき支給除外とすることはかかる権利の制限といえ、(3)認知により法律上の父がいる状態になったとしても「父による現実の扶養を期待することができない」ため、本件規定は「父による現実の扶養を期待することができない類型の児童」のみを支給対象にするという目的を達成するために合理的な手段として正当化できないから、(4)本件規定は憲法25条に違反する。>

と、先生がご教授くださった小山説の理解

「憲法25条が保障する生存権の実現はたしかに立法者の広い裁量にゆだねられ、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断をするのに適しない事柄である。しかし、立法者が制度の根幹となる基本的な原則を決定したと解される場合には、立法者は、原則として、その決定したところと論理的に矛盾がない首尾一貫した法律を制定するのが通常であるといえる。言い換えれば、法が定める特定の条文が、立法者の基本的な決定と論理的に不整合を起こす場合には、その程度に応じて、それを正当化するだけの合理的な理由が求められると解されるところであり、そのような合理的な理由が示されない場合には、かかる立法は合理性を欠き、違憲と判断すべきである。

この点、法が4条1項各号で規定する類型の児童は,生別母子世帯の児童に限定されておらず,1条の目的規定等に照らして,世帯の生計維持者としての父による現実の扶養を期待することができないと考えられる児童,すなわち,児童の母と婚姻関係にあるような父が存在しない状態,あるいは児童の扶養の観点からこれと同視することができる状態にある児童を支給対象児童として類型化しているものと解することができる。したがって、法〇条〇号が、母が婚姻によらずに懐胎,出産した婚姻外懐胎児童は,世帯の生計維持者としての父がいない児童であり,父による現実の扶養を期待することができない類型の児童に当たるのにこれを除外するのは、これを正当化する特段の合理的な事情がない限り、違憲というべきである」

を比較したところ、以下の疑問が生じました。

【質問⑤】

先生がおっしゃられた内容について、

「法が定める特定の条文が、立法者の基本的な決定(=いわば「法の法」)と論理的に不整合を起こす場合には、その程度に応じて、それを正当化するだけの合理的な理由が求められる」。

(A)法4条1項各号は、「児童の母と婚姻関係にあるような父が存在しない状態,あるいは児童の扶養の観点からこれと同視することができる状態にある児童(=父による現実の扶養を期待することができない類型の児童)を支給対象」にしたものといえ、これは立法者の基本的決定である(原則)。

(B)施行令1条の2第3号括弧書(に対応する規定)が「父による現実の扶養を期待することができない類型の児童に当たるのにこれを除外する」ことは、「立法者の基本的な決定と論理的に不整合」である(例外)。

したがって、「その程度に応じて、それを正当化するだけの合理的な理由が求められ」、「これを正当化する特段の合理的な事情がない限り、違憲というべきである」。

と理解しました。

この先生が提示してくださった論理は、私が提示させていただいた、

(1)法の趣旨・目的に照らし、「母が婚姻…によらないで懐胎した児童」(=父による現実の扶養を期待することができない類型の児童)に対する児童扶養手当受給権は、(法4条1項各号により具体化された)憲法25条により保障されている。

(2)本件規定が「母が婚姻…によらないで懐胎した児童」のうち「父から認知された児童」につき支給除外とすることは、かかる権利の制限といえる。したがって、制限を正当化できなければ違憲となる。

という理解と、それぞれ(A)が(1)に、(B)が(2)に、対応するとはいえないのでしょうか。

【質問⑥】

さらにいえば、小山教授の理解は、立法者の基本的な決定により、作為請求についての「二重の未確定性」(小山115頁)が解消され、「原則ー例外の関係」(小山12頁)が観念できるから(本件についていえば、<父による現実の扶養を期待することができない児童については、原則として支給すべきであり、例外として支給しない場合には、それを正当化するだけの合理的な理由が要求される>)、防御権と同様に三段階審査(あるいはそれに類似する審査)をすることができる、とはいえないのでしょうか。

(小山121頁は、郵便法違憲判決のような場合には原則ー例外関係が観念できるとしており、これも参考にしました)。

【質問⑦】

また、先生がおっしゃられた「正当化するだけの合理的な理由」の有無の検討は、具体的にはどのように行えばよいのでしょうか。

例えば、本件であれば、支給除外とすることにより得られる利益と失われる利益の衡量(あるいは重要ないし正当な目的達成のため必要かつ相当な手段といえるか否か)により判断すればよいのでしょうか。

【質問⑧】

上記⑤〜⑦にも関連しますが、首尾一貫性審査が「立法裁量縮減の工夫」たりうるのは、<原則ー例外>の構造を観念できるからだであり、それに尽きるとすれば、なおも財源確保の問題など社会福祉立法領域における裁量を基礎づける事情は問題となるのであるから、積極目的での経済活動規制のように、結局は「著しく不合理であることの明白である場合に限って」違憲となるといった緩やかな審査がなされてしまうのではないでしょうか。(「首尾一貫していないからお金を払いなさい」と裁判所が判断することの妥当性については、財政民主主義などに照らして疑問が残るとも思いました。)

【質問⑨】

(以上の議論はなんだったんだという質問ではありますが、)受験テクニックとしては、本件のような問題では、現場で混乱しそうであれば、首尾一貫性審査ではなく、平等原則審査によったとしても間違いではないのでしょうか。

【回答メール2】

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【質問⑨】について

 

ご指摘のとおりです。無理に首尾一貫性審査に持ち込むのではなく、平等審査の厳格な適用を求めるというのがファースト・チョイスです。ただ、この場合、原告の主張としては使えても、裁判官の判断としては使いにくいように思います。もちろん、あてはめで勝負するという手はありますし、そこまでがきちんとできていれば十分に合格点です。というか、そこまでがきちんとできていないようでは首尾一貫性審査を主張するなんてこわくてとてもとてもできません。

 

【質問⑤】について

 

木村さんがお示しになられた(1)についてですが、木村さんは

 

「法の趣旨・目的に照らし、「母が婚姻…によらないで懐胎した児童」(=父による現実の扶養を期待することができない類型の児童)に対する児童扶養手当受給権は、(法4条1項各号により具体化された)憲法25条により保障されている」。

ということでした。

まず、生存権が抽象的権利であるという通説的な理解は、まさに、かかる権利については、小山先生のいう「二重の未確定性」があるということを承認するということにほかなりません。

したがって、憲25条をいくら解釈しても、個別具体的な主観的権利が25条自体から導き出されるわけではありません。その意味で、法の趣旨・目的から、憲法25条で保障される児童扶養手当受給権が導出されるという論証に強い違和感を覚えます。

 

これに対して私のAの部分は、小山流の説明をするとすれば、児童扶養手当受給権が受けられないという一定の法的地位に原告が置かれていることをきっかけとして、あるいは、憲25条が一定の作為請求権を抽象的に保障していることをきっかけとして、立法裁量の当不当の審査に移るという理解に基づいています。つまり、あくまでも個別具体的な主観的権利の存在は導き出せず、その具体的形成は立法裁量に委ねられていることを前提とする立論です。

 

したがって、(2)の部分も、権利の制限というよりは、立法裁量の行使が違法・違憲だという理解に立つことになります。

 

ここまで書いてきて気が付きましたが、私のAの部分は、堀木訴訟上告審をはじめとしておなじみの立法裁量を導く論証からの続きなのだということを強調しておいた方がいいかもしれません。解答時に余裕があれば、堀木の説示をコピペすればよいのですが、この点をある程度書いたバージョンも示しておきます。

 

「この点、堀木訴訟上告審判決では、憲25条が具体的な権利を保障したものではないことを前提に、憲法25条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定が立法府の広い裁量に委ねられるとしている。

健康で文化的な最低限度の生活が抽象的・相対的な概念であること、その具体的内容は、その時々における社会的・経済的条件や一般的な国民生活の状況との相関関係において判断決定されるべきこと、さらにこれを具体化するにあたっては、国の財政事情を無視しえず、また,多方面にわたる複雑多様な,しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものであることに鑑みれば、憲法25条が保障する生存権の実現はたしかに立法者の広い裁量にゆだねられ、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断をするのに適しない事柄であるといえる。

しかし、立法者が制度の根幹となる基本的な原則を決定したと解される場合には、立法者は、原則として、その決定したところと論理的に矛盾がない首尾一貫した法律を制定するのが通常であるといえる。言い換えれば、法が定める特定の条文が、立法者の基本的な決定と論理的に不整合を起こす場合には、その程度に応じて、それを正当化するだけの合理的な理由が求められると解されるところであり、そのような合理的な理由が示されない場合には、かかる立法は合理性を欠き、違憲と判断すべきである。

本件についていえば、当該条文の趣旨、目的の合理性及びかかる趣旨・目的と括弧書き該当児童に手当てを支給しないこととの間の合理的関連性が存することが肯定されなければならない。」

 

【質問⑥】について

 

この点はご指摘の通りです。このような制度準拠審査の強みは、原則例外観念が本来的に想定できないところに、原則例外関係を無理やり擬制して審査を行ってしまうところにあります。

 

【質問⑦】について

 

この事件を前提にすると、括弧書きに類型化される児童が外されるのは、そもそも法が裁判所の認定とは別の趣旨だったからだというのが行政側の主張でしょうから、裁判所認定の趣旨を前提にしてどのような合理性があるかという点については、立証がないので破棄差戻しをするか、合理性を基礎づけるだけの事実がないと判断することになると思います。

その意味では、私の示した書き方だと一番簡単には、総合考慮の枠組みを示したうえで、第1審のように検討したのち、「本件については、合理性を肯認するだけの特段の事情もうかがわれない」とすることになるだろうと思います。

 

【質問⑧】について

 

もちろんご指摘のような考え方はありうるところです。ただ、気を付けてほしいのは、財源確保などは、どれだけ立法府の判断を尊重するかということなのであり、審査の枠組みではなく、審査密度に関わる問題です(小山・73頁)。もっとも、この点についても、首尾一貫性審査の強みはあります。というのも、首尾一貫性審査は、立法府の基本的な決定(立法府の第一次判断権)を尊重したうえで、さらに詳細な説明を求めるという構造をもっているからです。このことは、審査をある程度厳格化することにつながります。このように考えると、財政事情といっても、一定の児童に支給することによって増大する財政事情ではなく、括弧書き該当の児童を支給対象とすることによって増大する財政事情が問題になるわけですから、その程度であれば立法府に敬譲しなくても良いとかんがえることもできるでしょう。

また本問では財政事情が問題となっているのではなく、誰に手当支給の必要性の有無という点に関する立法府の判断が本質的な争点なのですから、この点について一層踏み込んだ判断をする余地はあるように思います。

 

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質問と回答は以上になります。

長文失礼致しました。

大阪大学大学院 高等司法研究科 平成28年度修了生

木村洋介

【質問】共通到達度試験 H26 憲法 問題5について

平成26年度の共通到達度試験の「憲法」の問題5についての質問です。

「最高裁判所の判例によれば、職業活動の内容および態様に対する規制が、社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、積極的措置である場合には、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、職業の自由に対するよりゆるやかな制限によっては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要する。」

この選択肢が誤りという答えになっています。しかし、薬局距離制限事件(最判昭和50年4月30日)から考えると正しいということになると思えます。

誤りになる理由を教えていただきたいです。よろしくお願いします。

【質問】弁護士の就職活動について

はじめまして。未修コースの1回生です。

司法試験に合格後、多くの人は弁護士として活動するために弁護士事務所に就職するという話を伺いますが、具体的にどのような就職活動を行うのか(例えば、インターンシップや説明会があるとしたらいつごろ参加するべきか)について、ほとんど全く知らないので大まかな流れを教えていただけますでしょうか?

「○○という本を読めば分かるので、この本を読んでもわからない場合により具体的な質問をしなさい」というご意見でも、いただければ幸いです。

 

お忙しいところ恐縮ですが、どうかお力をお貸しください。よろしくお願いいたします。

 

【質問】信頼関係破壊の法理について

初めまして。

今回質問があり始めて投稿させていただきます。

未習者コース1年生ですので初歩的な質問となるとは思いますが、よろしくお願いします。

【質問】

信頼関係破壊の法理の説明につき、教科書では「賃貸借において」と書かれていました。

その例示として、不動産賃貸の事例と判例があり、判例の抜粋部分には、「賃貸借は」から書き出された文章がありました。

信頼関係破壊の法理は動産の賃貸借には適用されないのでしょうか。特別の信頼関係が認められれば動産でも適用されるのでしょうか。

討論の中では、不動産の賃貸借の額の大きさと、居住地の重要性に着目する意見も出たのですが、例えば、工場の経営者が、その仕事の中で最も重要な機材を賃貸しているとして、契約の中で資産の調査や保証金などがあり、賃貸借契約時と類似の手順をふんだと仮定してもこの法理は適用されないのでしょうか。

拙文ではありますが、どうぞよろしくお願いします。

 

【質問】試験終了後から合格発表までの時間の使い方

先生方へ

私は、今年の司法試験を受験し、現在合格発表を待つ身の者です。

表題の通り、私は、司法試験受験後から合格発表までの約3カ月半の日々(既に1カ月程経過していますが)を何をして過ごそうか悩んでおります。

修習を見据えて民事法や刑事法の勉強を継続してするのか、倒産法や労働法など実務的によく扱われる勉強をするのか、スキルアップのために法律以外(英語など)の勉強をするのか・・・など、選択肢はいくつかあるのですが、未だ決め切れずにいます。

そこで先生方には、この期間をどのように過ごすことが将来的に有意義と考えるか、をお伺いしたいのです。

もちろん試験制度は以前と変わっておりますし、有意義かどうかは人それぞれだと思います。修習を終え実務でご活躍されている先生方の各ご経験を基に、各先生方が私の立場でしたらこの期間をどう使うかにつき率直なご意見をお聞かせいただければと思います。

ご多忙の中恐れ入りますが、上記の点につきご回答いただければ幸いです。

よろしくお願い致します。

【質問】免責的債務引受の対抗力について

はじめまして。

先生方に表題の通り質問があります。

【質問】

以下の事案で、CはFに対して免責を受けたことを主張して、Fの請求を拒むことができるのでしょうか?

【事案】(平成25年度予備試験論文民法参照)

G・S 将来債権譲渡担保契約設定(返済が滞るまではSに取立権限あるが、滞ると取立権限を喪失する旨約定)

S→C α債権発生

S・D α債権につき免責的債務引受契約締結(Cの承諾なし)

S  Gへの弁済遅滞

F→C α債権差押え(FはSの債権者)、Cに対してα債権の支払いを求める

 

お忙しい中大変恐縮ですが、ご回答よろしくお願いします。

【質問】志望と就職活動について

先生方へ

私は高校に入るくらいの時分から検察官を目指しております。

司法試験も近づき、サマークラークへの応募なども考えるようになったものの、

弁護士という職業に未だ関心が持てておらず、エントリーシートの書き方等に困っております。

そこで、以下の2点につきお聞かせ願いたく、質問させていただきます。

①弁護士事務所での就職活動(以下、「就活」と省略します)において、検察官志望であることは隠すべきか。

②個人的に、弁護士になるのであれば、専門化するのではなく、幅広く様々な分野を扱いたいと考えているが、就活において「自分のやりたい専門分野がない」ことはマイナスに評価されるか。

お忙しいところ恐縮ですが、御回答いただければ幸甚です。

よろしくお願いします。